原爆慰霊碑を正す会

組織概要

原爆慰霊碑を正す会

組織概要

昭和44年6月、海内興論の「瀬戸内報道」が原爆慰霊碑の碑文改正の世論喚起を画しました。翌7月、広島市は原爆慰霊碑を御影石にして恒久化することを発表。同月、林房雄氏の「原爆慰霊碑は日本の恥」という論文が「瀬戸内報道」に掲載されたことをきっかけに再び碑文論争が勃発。広島市民から碑文を改正すべきであるという声が再び高まり、碑文改正運動の母体となる団体の結成が要求されました。
そこで、「瀬戸内報道」は碑文改正の請願運動を提唱するとともに、市民間にくすぶっていた原爆慰霊碑に対する不満の声なき声の結集に努めました。
10月には原爆慰霊碑を正す会結成準備会が開催され、岩田幸雄が世話人代表に推されました。
翌昭和45年1月、原爆慰霊碑を正す会準備会は地元世話人、顧問、参与、相談役の委嘱をしました。そして2月11日、紀元節の佳き日に原爆慰霊碑を正す会を発足させ、広島市見真講堂で結成式を開催した。以下の役員が選任されました。
世話人代表 岩田幸雄
常任世話人 藤井一郎、神笠武登
顧   問 石橋湛山、賀屋興宣、児玉誉士夫、三浦儀一ら8名
相 談 役 源田実、林房雄ら39名
参   与 86名
世 話 人 120名
原爆慰霊碑を正す会は広島市に請願書を出し、碑文改正を要求しましたが、当時の広島市長山田節男は「碑文は改正しない」旨の公式見解を発表。
その後も碑文改正運動を展開しましたが、天皇陛下の広島行幸が決定すると、対左翼対策へと主軸を移しました。
そして、しばらくの間は運動が停滞していましたが、平成26年より再び碑撤去・碑文改正の活発な運動を展開し、現在も広島平和都市記念碑(原爆慰霊碑)の撤去または碑文の改正を求める署名活動や広島市長・広島市への請願活動などを行っています。

原爆慰霊碑を正す会
〒102-0071 東京都千代田区富士見1-2-11-302【東京本部】

inserted by FC2 system